日本西洋料理の祖・草野丈吉の銅像が建立されました!

 先月10月25日に、グラバー園の旧自由亭横にある『西洋料理発祥の碑』建立40周年記念式典の司会を務めさせていただいたことは、既にこのブログでもご紹介させていただきましたが、昨日11月12日は、日本の西洋料理の祖と言われる、日本人初の洋食屋・草野丈吉先生の銅像が旧自由亭の傍らに建立され、その除幕式の司会を担当させていただきました!

 

 会場となったグラバー園 旧自由亭前には、真っ白なシェフスーツに身を包んだ西洋料理のシェフの皆さんの他、なんと草野丈吉先生の4名のご子孫が関西や関東からお越しになり、銅像の建立を祝いました。この草野丈吉銅像建立には、西洋料理の『現代の名工』として黄綬褒章を受章された、全日本司厨士協会西日本地方本部・坂本 洋司理事長(長崎の皆さんには、長崎市役所食堂で腕をふるっていた坂本シェフ、と言ったほうが解りやすいかも。ちなみに昨年現役引退され、現在は司厨士協会の役員業務に専念し後進の指導に当たられています)の並々ならぬ情熱があったそうです。

 

 日本の西洋料理界の偉人・草野丈吉について、昨年6月に出版された永松 実先生の『本邦初の洋食屋~自由亭と草野丈吉~』に記された内容をかいつまんで少しだけご説明いたします。草野丈吉は、天保11年(1840年)6月24日、現在の長崎市伊良林の貧しい農家に生まれました。農家の孝行息子は、出島に出入りしていたコンプラドール(売込人・仲介人)の増永文治にその人柄を見込まれて、増永の推薦で19歳の時、出島のオランダ人ヲスセマンに下働きとして雇われボーイや洗濯などの仕事に就きました。ヲスセマンが帰国するとオランダ商人のシキュドに雇われてコック見習いや洗濯の仕事をし、やがて21歳でオランダ総領事デ・ウィット専任のコック兼召使いとなって、オランダの軍艦で江戸、神奈川、横浜などと長崎を行き来しました(どうやらその間に、西洋料理を完全に習得した模様)デ・ウィット帰国後は長崎伊良林に戻り、24歳の時、かの有名な五代友厚の勧めで日本人初の西洋料理店『良林亭(りょうりんてい)』を若宮稲荷下に開き、薩摩藩出入りの料理人となって、長崎奉行からも外国人接待の用命を受けました。良林亭は程なく『自遊亭』と改名されましたが、丈吉26歳の時、自遊亭に来店した佐野常民(後の日本赤十字創設者)の助言で、『自由亭』と屋号を改めたそうです。それまでの日本では、『自由』という言葉はワガママという意味で使われていたようですが、西洋の近代思想の中で『自由』とは個人に備わった天賦の権利として新たに定義されており、西洋の思想に造詣深く博愛主義者であった佐野常民は、草野丈吉という人物に『自立した個による近代社会の幕開けを予感したのかもしれない』と永松先生は感想を書いておられます。そののち丈吉は、岩崎弥太郎、土佐藩主・山内容堂、後藤象二郎などからも用命を受け、時代は明治へと幕開け。丈吉は『自由亭』の屋号で大阪、京都、神戸にホテルを開業し、日本に西洋料理を広めていったのです・・・。この続きは、どうぞ、永松先生の書籍をお読みくださいませ!!ほんとに、連続ドラマになるくらいの激動の半生です!願わくば、菅田将暉君を丈吉役にしてほしい綾部でした。

 

 前置きが長~くなりましたが、そんな草野丈吉先生の銅像がグラバー園の旧自由亭横にこのたび建立されました。あの上野彦馬さんが撮られた古写真を参考に、長崎在住の版画家・小崎 侃先生が制作された銅像は、ご子孫の皆様の『丈吉は笑顔を絶やさない、気遣いのある人だった』というエピソードを受けてか、上野彦馬撮影の写真よりもスマイルの度合いが高いように思えました!夜にはホテルニュー長崎で、関係者やご子孫合わせて約100名の祝賀会が行われ、除幕式に引き続き司会を担当させていただきました。一流のシェフの皆様や業界の皆様も多数お招きし、ホテルニュー長崎・川端名誉総料理長渾身のおもてなし料理に、皆さん大変ご満足のようで、ビュッフェスタイルの祝賀会は終始いい香りに包まれておりました(司会台のすぐお隣で、ジュージューと美味しそうなお肉が焼かれてました~♡)

 

 なにより、ご子孫の皆さんが大変喜ばれておられたことと、銅像除幕後にご子孫と坂本理事長が丈吉先生の銅像を囲んで記念写真を撮られていた時、ご子孫の皆様のお顔が丈吉先生の銅像にそっくりだったことが印象的でした。

 

 最後に、ご来賓の宇都宮全日本司厨士協会総本部会長のお言葉をお借りします。全国のヤングシェフの皆様、新婚旅行や家族旅行はぜひ長崎のグラバー園に来て、偉大なる先達・草野丈吉先生の銅像にお参りし、西洋料理の道を邁進してください!!なんと中学2年まで長崎伊王島でお育ちになられたという(これは綾部のその日一番の驚き!)宇都宮会長の長崎愛あふれるお祝辞もとっても嬉しかったです。

 

 この度は銅像建立、心からおめでとうございます。また、大変貴重な機会をいただき、全日本司厨士協会の皆様、坂本理事長、誠にありがとうございました。